これもまた勧められた本です。韓国からの飛行機でYちゃんと隣席になってて、なぜか覚えてないけど話はインドを旅してきていろいろ考えさせたってことから始まって、インドって不思議なところってことからこの本が面白いからぜひ読んでくださいっていわれた。普通に日本人の社交辞令だと思って、はいって答えた。まさか次回に会ったときにこの本を渡されて(っていうか次回っていつかもはっきりしないし)、とりあえず面白いっていったから読んでみた。おかげていろいろインドでであったことを思い出されてしばらくのまとまりになりそう。
ガンジス河って辞書開くのが面倒くさくて多分私が思ったようにインドで一番有名な河でしょう。と頭に入れながら、本を読んでいって、やっと最後にガンジス河=ガンガーが出てきて、この発音から、確かに私がしている有名の「恆河」に近い。また、作者が大阪出身で関西弁が多かったので読みづらかったけど、なんか久しぶりに関西弁に囲まれて親しみを感じた。
インドがメインだけど、最初は香港とシンガポールの初旅まで書いてて、久しぶりに初旅行の感想を見て、自分の初旅行はどこだかを思い出しながら、作者が旅してきた香港やシンガポールに従いながら、自分の経験を重なりながら、映像が浮かびだす。確かに香港やシンガポールは一人旅で全然問題ないと思うけど、私は一人じゃ旅に出られないのでちょっと作者のことをすごいと思った。まさかこの調子でインドまでひとりで旅に出るなんて勇気持ってると思う。なんだか、最初の旅の経験を自慢しているように読めるから、ちょっといやだったけど、でも読んでるうちに、最後にいろいろ共感できる部分が出てきてそんなにいやでなくなった。香港とシンガポールの旅に、なんかすごくいい人ばっかりにめぐり合えって、順調に人と出会った様な口調は私から見ればただの運がいいに読めた。ちゃんと自分の身を注意してよとか、知らぬ人に警戒を持ってなさいとかをいいたくなった。旅している人には感が鋭くなることをちゃんと読者のみんなにも伝わないと。
本番のインド
作者の旅のスタイルは何かというと、本当にフリースタイルだよ。スケジュールなんか組んでないらしくて、今日は誰に出会ってその次の行き先を決めたり、今日泊まりたいところで宿を探したりするらしい。私なら、台湾での旅はこんな風にしたことがあるんだけど、海外ではとっても想像しにくい。作者のてるこは、カルカッタからインド入りで、しかも完全に観光コースではない。それは乞食にされたときに、最初は戸惑っていたが、最後に意思に反して怒りを出さなくては済ませなくなっていた。「バクシーシ」っていいながら、お金を乞う子供に「ノー」って言いながら、晩御飯はおいしい料理を食べていて、自分が冷酷な人間に思えるようになった。
「突然、『マダーム』と声をかけられた。見ると、赤ちゃんを抱いたお母さんだ。サリーをまとったインド人の彼女が、私に道を聞くはずもなし。はて、いったい何のようだろう。私が立ち止ると、彼女は手を差し出してきた。『プリーズ、バクシーシ、マダーム』 えぇ?この人も乞食?!私はわが目を疑った。お母さんは一見、普通のインド人女性なんら代わりがなかったからだ。。。。 お母さんは泣きじゃくる赤ちゃんを近づけてきて、『この子がひもじがって』とけだるい調子で訴えてくる。いったいどうすればいいんだ。この赤ちゃんは、そんなにお腹が減っているんだろうか。」
『物乞いされると、その人が本当に困っているのかどうか、いちいち判断する必要がある。インドの旅は、もしかしたら苦行なのかも知れないとさえ思えてきた。この先、私はいったいどうなるんだろう。私の感覚は、いろんなことにまひしていくんじゃないだろうか。それとも敏感になっていくんだろうか。』
その後、作者の旅はかなりフリースタイルに続いて、本当にインドに身を任せるって感じだった。嫌らしいこともあったけど、全体的にはいいことで仕上げたって感じもする。確かに、インドで何か自分の思うとおりに行かないことや、理解できないことに対して、なんだか人を「まあーいいや」って思わせる雰囲気に包まれそうになる。また、神様という人間じゃない信仰の強い力で、インドの人々を安定できるし、辛い思い出や貧乏の生活を受け止められるようになる。
インドの不思議とすばらしいさって、本当に日本で生活してきた作者と台湾で生活してきた私にとって理解できないところがたくさんある。まず第一は鮮やかなサリーである。それは本当にFASHION業界も研究してみたほうがいいと思う。そして、インドの映画とかドラマは本当にToo Over(作者は言ってないけど、そんな感じで受け取ったのかも。笑)私はインドで買い物するのがすごくいやだけど、商売する人がうるさいと感じていたから。それもインドの人がおしゃべりが好きかも知れないと台湾に帰って思ったこと。買う気がないなら、本当に商売の人にはっきり断らないと、あきらめない精神にもすごく感心した。観光地の建物に入ると、同じインド人同士の観光客に声をかけてみると絶対喜ぶ返事してくれるというのがすごくFriendly.だけど、たまに声をかけられると一時反応し過ぎで『ノー』って答えって、後では照れながら笑う。
インドってさ、時間を感じさせないながら、一日や一分を充実してくれる。私もまたいつかインドに行きたいと思ったが、また自分ひとりは考えられない。
『ただ私は、このごろでは、自分がどこにいて何をしていようと、日常も『小さな旅』だと感じられるようになって来ました。。。。日常の重みを時に忘れてしまいそうになるけど、本当はいつだってかけがえのない時間が絶え間なく流れていて、そんな中で私たちは生きています。』
インドから帰ってきても、そう思った。もちろん海外行って、自分が住んでいるところの良さが良く見出すんだけど、日常の些細なことまで気づくことになったのはインドのおかげかなー。今の時間を掴まないともう戻ってこないということは、いちいち思うとおりにすることではなく、成り行きで出会ったことを感謝しながら受け止めることである。私はインドで鉛筆とかクッキーを渡そうと思って渡さなかった子供にホテルに戻って悔しく思ったこともありながら、すべてが縁ってことだから、しょうがない。次にまた同じようなことにあったときにやればいいと自分を納得させた。
最後に一つ突っ込みたいことがあるんだけど、なぜ日本人はそんなに年を気になるのですか。てるこが旅で知り合ったひととかでもはっきり年いくつ下か、いくつ上かがよくはっきり書いてるんだけど、なんか旅で見知りの人によくそこまで聞くんだねって思うんだけど。
たかのてるこ(2002)。ガンジス河でバタフライ。東京:幻冬舎。
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